読む読むな生活。
行政書士になって多くのものを読む日々が続いている。私は、行政書士になって1年に満たない。まだまだ研鑽を積まなくてはならないから手引きやら、行政書士会の研修関係の文書など調べることが山積みである。
多くの読み物は手続き関係のものとなる。手続き関係のものは一見、無味簡素なものであり退屈にみえてしまう。事務手続きの一連を読込んでゆくことは大変だ。そのようなものは、理念的な要素を削られており考えながら読む要素が少ないのである。したがって、考えながら読むという読書の醍醐味を感じることが一見難しい。
私は、法律がすきであったので、行政書士受験勉強のあいまに、試験科目以外の本を読むことが好きであった。その中でも、民事訴訟法を読むことを好んでいた。正しくは、好んでいたというよりは困難であったので何とか輪郭を掴もうと多く読んでいたとの表現が正しいと感じる。
学生にとって民事訴訟法は通称、「民訴、眠素」とも言われるくらいに眠気を掻き立てる法学の一つである。というのも、手続き的な要素も多く地道に繰返し教科書を読んでゆくことが大切な分野である。地道な作業が眠気をさそう。ただし、学説の論点も多数あり上級者となると眠素ととは到底言えない深い法学の分野となるという感想。
手続法は繰返しが大切で地道な努力が必要と言われる。行政書士の仕事は適正な手続きを行うことなので、繰返し読込むことが必要となる。だから、時間と体力が必要となるように思う。
しかし、ただの暗記となってしまうおそれもある。そうなってしまうと、法律に対する勘所が甘くなってしまい危険である。ただの暗記に従った知識は解釈上の問題点に気付くことができない。法学で大切な「ここが問題となる」に気付くことができなくなってしまうのではあるまいか。
それでは、「問題となる」の部分に気付く能力をいかに培うべきだろう。単純に法学の基礎トレーニングの繰返しにほかならないのではなかろうか。基本書や体系書を読みながら、あれこれ考えることや判例を読みながらあれこれ考えることが私の基礎トレーニングとなるのである。その結果、時間もまた、一定程度取らなくてはならない。
行政書士にとって、もう一つ大切なのは、社会問題に関して考えなければならないという事。国家資格である以上期待されている部分である。日頃から情報収集をおこたってはならない。また時間が削られることとなる。
以上から思うに、時間と体力との勝負になるように感じる。受験の頃からの感じていたが、「膨大な情報量といかに付き合うべきか?」はやっぱり避けられないと感じてしまう。
一般的に、士業の報酬は「高い」と言われがちである。その要素の一つには「裏で多くの時間がかかっていること」にあると思う。その他にも士業は職業であり、立場である。立場との国家資格者であり仕事以外でも品位を求められる。ようは法律によって縛りが強い人生を送ることになる。例えば「書類を持ったら飲まない(飲んだらもつな)」とか。刑を受けたら職を失うとか。
士業になってみて、「縛りがきつい」とか、ちゃんとしなきゃみたいに感じることは多い。しかしその反面、ご相談を頂いても報酬とならないことも多いしドタキャンもある。正直、「なんでこんなやってあげなきゃ」みたいに感じることもある。
自分の選択した人生が良かったのか疑問に思うことも多い。
しかしながら、結局は法律が好きだし仮に士業を辞めても法律の本を読むだろう。結局士業であろうがなかろうが法律を読むことで過ごすことが私の生活の一部である。
法律の学習は楽しいことは間違えがない。個人的には、各々の法律を読んでゆくことで些細な共通点を感じているときに、真理に近いような気がして喜びを感じる。しかし、法理学習をしたとしても一般的に幸せな人生を送れるという保証もない。
ここまで、考えると一つのことにたどり着く。結局この生活が気に入っているんだということ。
客観的にみるとそれは、法律学の森に迷い込んだ破滅への道かもしれない。おそらく、学習よりも豊かな人生を送れる道筋もあるのであろう。しかし、この道を進んでみようと思う。それは、好奇心による冒険なのかもしれないし一種の依存なのかもしれない。
北原 伸介
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